盆栽って? 〜好きを仕事にする
お久しぶりです。
コロナの影響で育児中心の生活も3ヶ月が過ぎようとしています。元々不器用な性格なので1つのことしか集中できず盆栽のお手入れはしておりません。こんなに盆栽触らなかったのは初めてかな。
子供の相手しながら考えることは多く、一度自分中の盆栽についてや経験してきたことを文字にしてみようかという気になりました。
まず『盆栽とは?』から
どの盆栽書籍でも冒頭にこのテーマがありますね。どれが正解って訳ではなく、盆栽に携わっている人の数だけ様々な考え方があっていいと私は思っています。いやいや真実はひとつだ!という人はもう宗派が違うので引き返してくださいね。またこれは私個人の考えで養庄園の中でもみんな少し違う考え方だったりします。
なんか独り言言ってるわぐらいの感じで読んでもらえると有難いです。
私の盆栽とは、園芸との違いとは
・自然をお見本としている。
・樹と鉢の調和
・古さ、歴史を重じている
・その存在すべてが鑑賞対象である
よく盆栽って針金で曲げたり切ったりして可哀想とか言われたことないですか?庭木でも園芸でも観葉植物でもガンガン切ったり曲げたりしてるのにね。
どうにでもできるかといって不自然に曲げたり切ったりしたものは美しいとは私は感じないです。あくまで自然の縮図を盆栽として形にするから盆栽は美しいと思います。
鉢は人にとって洋服みたいなものかな。
展示会ではパーティードレス、普段は機能性の高い服で元気に動く。元気がない時はゆったりとした服。
盆栽は古いだけでめっちゃカッコいいです。
古くなると幹にその表情が現れます。歳月の積み重ね、これまでどれほど人に愛されて育ってきたのか、それを自分たちが引き継いでいく。
盆栽は愛されてお手入れされてこないと美しい形を維持できません。古い盆栽はたくさんの人の愛情がつまっているから素晴らしいのだと思います。
他の植物の趣味と最も違うのが、全てが鑑賞対象であることです。
花や実だけを愛でるのと違い、葉、幹、小枝さらには根の一本一本までが盆栽の鑑賞対象です。なんならその枝ごとの空間までも愛でます。春夏秋冬ずっと愛でます。
盆栽という趣味は、人が自然、植物に対してできうる最大級の敬意の表れである。というのが今の私の盆栽とはです。
また何年後かには変わるのかもしれません。
それでいいと思います。盆栽は自由である。